報告日 2018/11/06

更新日 2018/12/10
    2019/10/30 

報告者 七沢智樹

概要

VRの研究は、数十年にわたりアメリカを中心に世界で行われ、その可能性は出尽くしたかのように語られることもあるが、「意識の研究とVR技術」が出会った時、これまでにないツールやコンテンツが、泉のように湧いてくる。その可能性は、無限である。

私たち、neten Inc. R&D Center は、2018年10月5日に「三人称視点VRライブシステム」についての特許を出願した(2019年中に取得予定)。この技術は、これまで人類にとって困難だった「他者視点の獲得」の最適な学習ツールになると考えている。

他者視点は、心理学、認知科学、哲学、諸科学の探求の中で、浮上してくる普遍的テーマである「他者理解」や「客観視」の前提となるもの。そこには、人(すべての生きとし生けるもの)は、「リアルタイムに、他者の視点に立ってものを見ることができない」ということと、それに、矛盾するかのように、「人は、他者の視点によって生きている」事実がある。

その矛盾を解消するアクティビティを可能にするのが、私たちが開発した、「三人称視点VRライブシステム」である。

日常において、自分の世界と他者の世界の「交錯」によって、一人称感覚が失われがちになることがあるが、三人称視点VRライブシステムを使うことで、三人称視点に没入することができる。さらに、三人称視点に没入することで、無意識のうちに自己と他者の世界の切り分け(客観視)が行われ、三人称視点を経由して、「一人称感覚」を取り戻すことができると考えている(VR Live Feedback(仮称))。

現代において、自己と他者の位置づけであり主観と客観の整理がうまくできないことによる、心的問題が多く見られると考えられ、このVR Live Feedback(仮称)を生む、「三人称視点VRライブシステム」は、それらの問題の解決にも役立つ可能性があると考えている。

これを体感することで、他者理解の視点を得られるのみならず、一人称世界(主観世界)への没入による、時間感覚の変化(直線時間的感覚から原生時間的感覚へ)や、集中力、自己充実感・肯定感の増強など(総じて、一人称感覚の最適化)も期待される。

このレポートでは、「三人称視点VRライブシステム」を含む、VR技術自体が引き起こす認知革命について記述する。

  • 一人称的世界観 – (存在、被投性…)
  • 客観的世界観 – (主客、世人(ダス・マン)…)
  • 三人称に没入する一人称的世界観 –

VR Live Feedback(仮称)により実現

1. はじめに /First of all

1.1. VRの無限の可能性

1.1.1. VRはまだ研究が始まったばかり

「世界は可能性に満ちている。」そう確信している人たちにとって、VRは、新たな未来を感じさせるものだろう。VRによって、実現可能なことや、VRが人の「認知」そのものを変えてしまう可能性について、まだまだテーブルに答えは出揃っていない。したがって、「VRとはこんなもの」という考えは、横においたほうがいいだろう。

特に、VR技術は、意識や心の研究をしている、全ての探求者にとって、興味が尽きないもののはずだ。

なぜなら、VR技術は、人間の「認知のあり方」そのものを変えてしまうものだからだ。その理由はいくつもある。

VRというとゲームやエンターテインメントとして認知されがちだが、意識に与える影響は、計り知れないのだ。

1.2. VR技術の変遷

スタンリイ・G・ワインボウムによる1935年の短編小説「Pygmalion’s Spectacles」にゴーグル型のVRシステムが登場する。これは、視覚、嗅覚、触覚の仮想的な体験をホログラフィに記録してゴーグルに投影するというシステムで、バーチャル・リアリティのコンセプトの先駆けとなった。

VRの歴史が一目で分かるインフォグラフィック https://www.moguravr.com/vr-history-infographic

図 1935年の短編小説「Pygmalion’s Spectacles」

2. VRという概念の精緻な解体

2.1. VRによくある誤解

そもそも、VRには、関係者の間では、常識となっている誤解がある。それは、そもそも、VRの訳自体が間違っている、というものである。

日本語で、「仮想現実」とされるが、そもそも virtualとは、「(表面または名目上はそうでないが)事実上の、実質上の、実際(上)の」という意味で、「virtual promise」といった場合、仮想の約束と訳してしまうと、「本当ではない約束」になるが、実際には、「virtual promise」とは、「約束の形を取っていないが、実質的な約束」が正解である。

なんと、答えが「反対」になるのである。日本人の多くは、VRの意味を反対にとっている可能性がある。ここでは、「VR=Almost Real、実質的に現実と同じもの」として話を進める。

VR研究第一人者、舘暲教授は、次のように述べている。

  • バーチャルリアリティの「バーチャル」が仮想とか虚構あるいは擬似と訳されているようであるが、これらは明らかに誤りである。バーチャル (virtual) とは、The American Heritage Dictionary によれば、「Existingin essence or effect though not in actual fact or form」と定義されている。つまり、「みかけや形は原物そのものではないが、本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」であり、これはそのままバーチャルリアリティの定義を与える。

なお、現実空間とVR空間をつなぐための実時間相互作用のためのテクノロジーは、とても高度なものであり、そのために地道な努力を続けてきた研究者達がいるから、今のような高度なVR技術を楽に使えるようなった。先人達に感謝したい。

図 バーチャルとノミナル、リアルと イマジナリ、そしてサポーズド(出典:バーチャルリアリティ学(日本バーチャルリアリティ学会編))

図:VRの三要素(出典:バーチャルリアリティ学(日本バーチャルリアリティ学会編))

2.2. VRという言葉と、現象世界、主観世界、表象…

ここで、心の中の世界と心の外の世界についての考察が、VRについて理解する場合に必要であることが見えてくる。

心の中の世界は、主に、哲学、心理学、認知科学などによって解明されつつあるが、まだまだ、科学的な理解は進んでいない分野といえる。

したがって、VRとは何かといった場合に、心の問題や意識の問題が出てくるため、心や意識に関して、統合的な知見がなければ、その理解は、中途半端なものとなる。

心や意識の問題を解くときに、必ず前提として議論されるのが、内と外、主観と客観の問題である。この問題については、カントであれば、物自体、フッサールであれば、ノエシスとノエマといったテクニカルワードの解説に役に立つ。

また、人間は、物自体を、ありのままに知覚することは不可能で、それぞれが、脳内で記憶と共に組み上げているという話は、近年の脳科学が明らかにしている。その組み上げた像が、隣の人と大きく異ならないのは、哲学的には「間主観性」の話になるだろう。

この「間主観性」をより「客観」へと消化していくのに三人称視点VR中継システムが役に立つ。

さておき、その組み立てられたものであり、認知、認識されたもの、存在すると思っているものは、すべて、意識の内側(心、意識の中)に主観であり、表象(※)として存在することは間違いない。そして、それをあたかも物自体であり、現実そのものだと解釈しているが、実際には「それと実質的に同じもの」を見ているに過ぎない。それは、まさに、24時間365日私たちの世界がVRでできているということにほかならない。まずは、そこを認める必要がある。

VR技術は、この「物自体」が存在しない、もしくは、それがデジタルなものであるにもかかわらず、意識の内側(心、意識の中)に主観であり表象を組み立てさせるもの、ということができる。


※ ここで「表象」という言葉を使うと、とても便利である。表象とは、以下のように定義される。(1) 外界に刺激が存在せずに引起された事物、事象に対応する心的活動ないし意識内容のことで、以前の経験を想起することにより生じる記憶表象、想像の働きにより生じる想像表象などが区別される。刺激が現前せずに生じる意識内容という点で、夢、幻覚なども表象の一つとされる。また場合により具体物に対する関係の程度に応じて心像、観念とほぼ同義に用いられる。ただし刺激が現前した場合に生じる知覚像をも表象に含ませ、知覚表象の語が用いられることもある。 (2) 現在では特に思考作用にみられるように、種々の記号、象徴を用いて経験を再現し、代表させる心的機能をさす。この場合は代表機能の語が用いられることが多い。

図 人間の知覚認知の簡易モデル

2.3. アナログのVRとデジタルなVR

このように、意識がそもそもVR(実質的な現実)としてリアリティを処理する機構なので、VR(実質的な現実)は、ヘッドセットがなくても、何のコンピュータ技術がなくても、そのまま意識の中に存在する(VRしか存在しない)。これをアナログVRと定義する(VR技術によるVRをデジタルVRとする)。

したがって、客観世界がリアリティで、私たちが見ている主観世界は、VR(バーチャルリアリティ)となる(※1)。

この主観世界であるVRを、テクノロジーによってデジタルに自在に構築しようというのが、VR技術でありデジタルVRである。例えば、チベットの山奥に暮らす木こりが、チベットにいて、チベットという世界で、「実質的な現実(アナログVR)」を生きていながらにして、ニューヨークの都会で生活しているという「実質的な現実(デジタルVR)」も提供できるという技術がVR技術である。

さらに、アナログなVR、つまり、日常世界と、デジタルなVR、その間にARやVR中継が存在する。それぞれ、単純に以下のように「現実空間」とのつながりを有り無しで表現できる。

けれども、アナログのVRとデジタルなVRの根本的な違いが存在する。それは、「物自体」が存在しないということだ(※2)。

しかし、VRの中でも「中継」に関して、現実空間(物自体)との繋がりができてしまう。

これが、VRに中継を組み合わせたときの面白さである。ARも同様に可能だがARの場合は、後に説明する「意識のワープ」は不可能になる。

(※1)「バーチャルリアリティは、それがそこにない(現前していない)にもかかわらず、観察する者にそこにあると感じさせる(同一の表象を生じさせる)ものである。それではなぜ、現前しないにもかかわらず同一の表象を生じさせられるのであろうか。それにはまず、人間が現実というものをどうやって認識しているかを知ることが必要である。実は、人間が現前している対象を認識している際にも、物自体を認識しているわけではなく、カントが「悟性のアプリオリな(先験的な)形式」と呼んだ、人間の認識機構の仕組みにより、時間的・空間的に制約されている感覚の世界に物自体が立ち現れた姿、すなわち現象を認識しているにすぎないということである。つまり、そもそも人間が捉えている世界と思っているものは、実は人間の感覚器を介し、かつ人間の認識機構のアプリオリな仕組みにより認識され、脳に投影された物自体の写像にすぎないということができる。その見方に立つならば、人間の認識する世界はこれも人間の感覚器による一種のバーチャルな世界であると極論することさえできるのである。」舘暲他監修『バーチャルリアリティ学』(コロナ社、2010)
(※2)チャーマーズは、アナログのVRとデジタルなVRの根本的な違いについて、「VRも現実である」とのべている。理由は、計算機世界のリアリティにあるようだが、、
The Virtual and the RealDavid J. ChalmersHow real is virtual reality? The most common view is that virtual reality is a sort of fictional orillusory reality, and that what goes in in virtual reality is not truly real. In Neuromancer, WilliamGibson famously said that cyberspace (meaning virtual reality) is a “consensual hallucination”. Itis common for people discussing virtual worlds to contrast virtual objects with real objects, as ifvirtual objects are not truly real.I will defend the opposite view: virtual reality is a sort of genuine reality, virtual objects arereal objects, and what goes on in virtual reality is truly real.http://consc.net/papers/virtual.pdfhttps://sakstyle.hatenadiary.jp/entry/20180425/p1

2.4. VRと知覚

次にVRと知覚の関係を整理する。VR技術というとヘッドセットなどの「視覚」を使ったものをイメージするが、実際には、どの「知覚」を使ってもよい。

例えば超音波によって、外界を認識するイルカに、「おおこれはVRだ!」と認識させるは、複雑にプログラム可能な超音波発生装置が必要になる。

コウモリも同様だろう。そして、彼らがどのような世界を描いているのか、知覚システムの構造が違う人間は、決して知ることができない。

客観として存在する実物は、どの生命体にも知覚し得ないものであり、全ての生命体は、それぞれの意識にVRとして、投影することで、外界を認識している。生命体は、VRしか知り得ない運命にある。

以上が、基本的なVRに対する認識となる。次に、私たちの研究所が考える「VR」についてお伝えしていく。

3. VR技術が起こす認知革命

3.1. 認知革命の歴史

生命体は、1つの海水が入った細胞から始まった。内と外を細胞壁に分けたその時から、哲学者が探求してきた、主観と客観の問題の本質は始まっている。そして、人類は、道具(ハイデガーのいう「道具存在」(zuhanden))を生み出し、言語を生み出し、文字を生み出し、紙を生み、そして、スクリーンとコンピュータを生んだ。

そして、人間は、意識の中にある「主観的なもの」を外界に、形として表現することを続けてきた。それは、主体が客体を生むという行為でもあった。

その「表現」の媒体が変わるたびに「認知革命」が起きた。生命は、現象という点で見れば、常に、内的な現象、外的な現象をもち、フッサールの言う、主観と客観が、意識にプリミティブに生じている。

けれども、道具の誕生は、ハイデガーが言うように、この主観と客観という単純な構造に、疑問を投げかけるものとなる。

その道具を使った認知革命の歴史は、ざっと右のようにまとめられるだろう。

とくに、道具の中でも「鏡」は、古代、世界中の民族で祭祀の神具とされたように、その内外の情報構造を打ち壊す可能性のあるものとして認識されていた。例えば、古代から鏡の中の世界が、あの世へとつながっていると信じていた民族は多い。

鏡に映る私は、「主観的な私」の知っている私なのか、それとも、「客観的な私」の知らない私なのか。そこには、何か奥深いものがあるように感じられる。

また、「写真」を撮られると魂を抜かれると言ったのも、写真が、その「境界」を感じさせるものだからであろう。その後「映像」や「録音」が生まれ、さらにそれらを「中継」することで、鏡のように左右反転することなく、自分自身をリアルタイムでモニターに写すことが可能になった。

そこに2Dから3DとなるVR技術が登場した。人間とシステムが対称性をもって相互に作用しあうことから、「没入感」を生み出した。

三人称視点VR中継システムにおいては、他者視点の獲得により自己と他者の世界の境界が無意識のうちに切り分けられるなど、VRは、この「境界」の認知に新たな地平を与える。

【映像を中心にした道具による認知革命の歴史】

1.道具・・・媒体(客体)と自己(主体)が一体となって作用することを可能にした。

2.言語・・・まったく存在しないものについて語るという認知革命(神話、伝承、虚構、空想、幻想等の誕生)。

3.鏡・・・・自らの姿を認知する機会と同時に、自らの視野に映る世界とは別の世界(見えないもの)が存在するという感性を開いた。

4.文字・・・言語を客体として置くことを可能にした。

5.紙・・・・文字を安定して保存し文字による情報の共有や複製を可能にした。

6.録音・・・音を保存し時空間によらず音の情報の取り出しや編集を可能にした。

7.映像・・・自らの認知の範囲(時間と空間の制限)を超えるという認知革命(ただし2D)。

8.中継・・・自分自身のリアルタイムモニターという認知革命(ただし2D)。

9.VR映像・・・3D映像による体験的な没入感による認知革命。

10.VR中継・・今ここに、他者の視点に没入することを可能にする認知革命。

3.2. VR技術が起こす認知革命0-意識はVR

VRが巻き起こす第一の議論は、(すでにお伝えした)VRによって体感する世界は、現実なのか、それとも虚構なのか、という議論である。そして、この議論に決着は出ていない。そこには、そもそも「現実とはなにか?」「意識とはなにか?」という未解決の問いが存在する。その難問の前の問いとして、「VR映像はなぜ現実のように感じるのか?」というものが存在する。バーチャルリアリティ学会の『バーチャルリアリティ学』(コロナ社、2010)という書籍に最適な回答がある。

「バーチャルリアリティは、それがそこにない(現前していない)にもかかわらず、観察する者にそこにあると感じさせる(同一の表象を生じさせる)ものである。それではなぜ、現前しないにもかかわらず同一の表象を生じさせられるのであろうか。それにはまず、人間が現実というものをどうやって認識しているかを知ることが必要である。実は、人間が現前している対象を認識している際にも、物自体を認識しているわけではなく、カントが「悟性のアプリオリな(先験的な)形式」と呼んだ、人間の認識機構の仕組みにより、時間的・空間的に制約されている感覚の世界に物自体が立ち現れた姿、すなわち現象を認識しているにすぎないということである。

つまり、そもそも人間が捉えている世界と思っているものは、実は人間の感覚器を介し、かつ人間の認識機構のアプリオリな仕組みにより認識され、脳に投影された物自体の写像にすぎないということができる。その見方に立つならば、人間の認識する世界はこれも人間の感覚器による一種のバーチャルな世界であると極論することさえできるのである。・・・・」

まだ、多くの人類が気がついていない、「私たちの意識がVR(アナログVR)であるということ」を、VR技術(デジタルVR)によって、「体感」できるなら、VR技術は、認知革命を起こすはずだ。

意識、表象、心、主観、思い、、、、これら全ては、VRなのだということを、VR技術によって体感できるなら、革命なのである。

3.3. VR技術が起こす認知革命1-全方位の認知能力

次に、VR技術が、人間が本来、生得的に持っている「全方位/360度/天球..」の認知能力を目覚めさせるものであることが挙げられる。

この全方位的認知能力は、例えば、大自然の中で、五感を使って、リラックスして、外界の情報を受け取る時のような、分散しつつ、集中しているような、人間が本来持っている自然な認知の状態と定義する。

VRが登場するまで、私たち人類は、平面に存在する情報をやりとりしてこの数千年暮らしてきたと言える。石版、紙、スクリーン(画面)、通常のカメラは、3次元空間を平面で切り取る設計で、1つの凸面レンズから構成される「平面的」なものであるが、VRカメラは、魚眼レンズが複数存在する立体的なもので、特に360度対応のVRカメラは、全方位への指向性を持っている。

このVR技術が全方位の指向性を持っていることから、当然のこととして撮影される映像もまた全方位(いわゆる360度映像)の指向性を持ち、それに対応したヘッドセットが用意される。

(通常のカメラは、この360度映像の中の一部を2Dで切り出したものだと言えるだろう)

そして、人が知覚すると3D映像として知覚される。視野が360度に広がるため、日常の認知の感覚にかなり近いものとなる。そのためその映像に対して、VR(ほとんど現実と同じ)感覚になる。これが、没入感である。

しかし、ただこれだけであれば、人の認知自体に変革を起こすには至らないだろう。人の実際の視界とは、180度プラスαしか見えていないとされるが、それは、通常のVR体験においても同様だからである。(ヘッドセットをかぶった状態でも、通常の視野と同様、向いた方向の景色が180度プラスαで展開される。)

知覚の前提として、人の知覚を引き起こす感覚センサーには、五感があり、中でも、認知特性として、「視覚優位」「聴覚優位」等がある。現代は、視覚優位の傾向が高くなっているが、視覚は180度正面からの知覚の情報に限定される。

一方で、聴覚は、全方位からの情報を知覚する。さらに、触覚は、視覚や聴覚のように知覚が点に凝集することなく、立体物である体の表面の皮膚という面で分散して知覚されるため、その知覚の方位は、より多元的なものとなる。

では、「人」というものの知覚の総体のレンジは、どのように捉えるべきだろうか。視覚は、正面に限定されているが、このような明確に指向性が限定される知覚は、視覚のみである。

したがって、人間の知覚総体はより全方位的であり、その知覚によって生じる「意識」の広がりもまた「全方位的」であるはずだ。しかし、現代社会においては、自然の中で全方位に全感覚を使って知覚をすることで生まれる全方位的な知覚を体験することは容易ではない。

ここに、例えば三人称視点VR中継システムを導入することで、180度プラスαの視界の「外」を、リアルタイムに知覚することが可能となる。それによって、自然の中における全方位的な感覚に「没入」でき、これまで制限されていた視覚が、聴覚や触覚といったその他の全方位的な知覚総体を有するものとして統合されるように、この「全方位的な」知覚の本来の性格が、被験者の認知において改めて立ち現れ強調されることとなる。

この点で、VRの360度映像の体感は、人が本来持っている、全方位指向の認知の感覚を呼び覚ますものである可能性がある。実際に、ヘッドセットをかぶった三人称視点のVR映像の体験者からは、以下のような感想が上がっている。

・宙に浮いている感覚

・360度の映像である方が没入感が得られやすい(180度の場合で、、、)。

・体験後に視界が広がる感覚がする

3.4. VR技術が起こす認知革命2-意識のワープを可能にする

次に、VRの中継を使うことで、意識の「ワープ」が可能になるという話をする。これには、VRの世界で一般に言われている「テレイグジスタンス」や「身体移転」のことも含む。

「ワープ」とは、4次元時空の歪みを使って、異なる時空同士を接続し、時間や距離に関係なく、移動することとされる。一般に、SFの世界の出来事とされるが、現代物理学は、宇宙にあるブラックホール、ワームホール、ホワイトホールの仮説を使って、このワープを説明しようとしている。

VRを使うことで、違う世界に「没入」することができる。これは、端的に「ワープ」を意味する。ただし、体は「ここ」にあるままなので、意識のワープである。実際に、火災などの災害のシュミレーションで、現場に「ワープ」してのトレーニングがすでに行われており、これから多くの分野で、当たり前のように行われるであろう。

このことは、意識が一人称視点で全方位性を持つことから、「ワープした感覚」を得ることに成功している。

また、その全方位性を生かすことで、体の場所とは関係なく、VRの360度の映像を使って、意識をワープさせることができることを意味する。

3.5. VR技術が起こす認知革命3-一人称感覚の確立

この一人称視点というのは、先ほどの、意識が持つ全方位の認知システムと表と裏、外と内の関係をなすもので、一人称的経験は、哲学の世界でも盛んに議論されるテーマだ。

全ての事象を私の経験(一人称的経験)から説明しようとするのが、フッサールから始まる現象学の伝統であるが、まさにこのVRは、人は、一人称的経験を中心にして、外界の情報を得ていることを、再確認させてくれるツールである。

すでに、ハードコアのように、映画でも一人称視点、つまり、主人公の視点で撮影されたものが存在している。

単純に考えて、その方が、見ている方は映画に没入しやすいはずである。

ここで問題にしたいのが、人間の視点は常に一人称であるが、感覚は一人称、二人称、三人称の間を行き来しているという事実である。人はだれでも他者の思いを汲み取ろうとするので、自己の世界に他者の世界が入り込んだ状態になっている。

  • 一人称的世界観 – (存在、被投性…)

例えば、何かの文章を読んでいる時、読み手は、書き手の立場(二人称)やそれを俯瞰する三人称の立場に立って読み進める場合が多い。

また、会話しているときも、そこを行き来する。なので、そこにまた第三者が入ってきたときに、その第三者に合わせてまた、主張を変えるといったことはよくあることだが、そのときに、人は、人称を変えている。

このように、自分が、どの人称に自分をおいてコミュニケーションしているのかを、しっかりと把握することができたらよいが、実際にそれを客観視することは難しい。

けれども、VRのヘッドセットは、一人称視点に没入させてくれる。そこに生きた他者はいない場合、三人称視点がなく、自他の関係性の整理にはあまり役立たない可能性があるが、そこに、オキュラスルームのようにアバターでリアルタイムの他者を登場させることで、他者とのコミュニケーションを行うことができる。

私たちが開発した、三人称視点VR中継システムによって、そのVR空間にリアルタイムの自分自身を登場させれば、通常のコミュニケーションよりも他者としての自己への没入感が強く、空気感による他者との(なんとなくの)コミュニケーションが存在しない分、他者を一人称的な感覚をもってありありと体感するため、他者との境界をなす本来の一人称としての立場も同時に強調されることとなり、これが一人称の確立へとつながる。

一人称感覚を獲得することが、東洋的な、無我の境地であり、仏教でいう空、神道でいう中今の感覚と、繋がる。悟りの前提として、世界にたった1人で存在しているという感覚が前提としてあるはずであり、このように、一人称視点に立ち返ることは様々な洞察と発見をもたらす。心理学的には、以下のような考察が展開される。

  • 客観的世界観 – (主客、世人(ダス・マン)…)
  • 三人称に没入する一人称的世界観

【参考-『一人称研究のすすめ』より抜粋】

身体は外から客観的に観測可能な対象であるとともに、自分自身が一人称的にことばで(主観的に)語る観測対象でもある。前者の方法論を外部観測、後者を内部観測という。からだメタ認知がひとつの重要な学習方法論であるならば、知能の研究において内部観測は必須である。これまでの「科学」はあまりにも客観的な外部観測だけに重きを置き、主観的なことばのデータや内部観測(一人称視点で自分と環境のあいだに成り立つインタラクションを観測すること)を「好ましくない方法」として退けてきた。誰しも自分のからだのことは考えるし、からだを流れる体感の存在を意識する。実生活の学びにおいて、それらが介在しないと考えるひとはいないはずである。しかし、知能を科学するという研究者の立場に立った途端、多くの研究者が、主観的データや一人称的視点を否定する。それでは知の研究は立ち行かない。

諏訪 正樹 ・堀 浩一著/人工知能学会 監修『一人称研究のすすめ』(近代科学社, 2015)

3.6. VR技術が起こす認知革命4-客観視点の獲得(自己背面の統合的認知獲得)

そして、「客観」の獲得である。これまでお伝えした、VR技術が起こす認知革命は、一般に存在するVR技術によって可能なものであるが、この客観の獲得は、三人称視点VR中継システムという私たちが特許申請を行った方法によって、明確に可能になる。

VRは、一人称視点に意識を戻すものであることを伝えたが、三人称視点VR中継システムは、曖昧な他者視点という幻想を消し、明確な他者視点(三人称視点)を獲得するのに役立つ。

心理学においても、自己と他者の心理的な切り分けがどこまで最適にできるかによって、心理の健康状態が決まってくるように、自己と他者の境の認識は、とても重要である。

これは、知覚、認知そのものをVR技術によって修正することができることを意味し、このことは、心理学をベースにした臨床の現場でも、十分に応用が可能であることを示唆する。

さらに、私たちが構築した理論であるコミュニケーションプラットフォームの階層的な自己他者のコミュニケーションの展開の理論を踏まえると、VRによる明確な他者視点の獲得が、自己と他者の切り分けをどのように最適化していくかを、詳細に明かにすることができる。

「コミュニケーションプラットフォーム」の理論は、情報伝達の場として、次のような階層性をもって展開する。すなわち、「自己内自己」、「自己内他者」、「客体自己」、「客体他者(理想自己)」、「超越自己」である。

たとえば、コミュニケーションエラーとは、「自己内他者(私の中に映る他者)」と「客体他者(他者の真の姿)」の違いが把握できていない状態によって、私の考え方が他者の考え方と一緒であると勘違いして行動してしまったり、「理想自己(妄想自己)」が「超越自己」と同等のものであると勘違いすることから、往々にして引き起こされる。

つまり、自己内自己、自己内他者・・といった、コミュニケーションにおけるこれらの階層の違いをしっかり分けてコミュニケーションすることが、「コミュニケーションプラットフォーム」の働きを最適化する上では欠かせないのである。さらに、中継されているVR映像を、ヘッドセットを通して見ている人物を、中継カメラと同じ空間に置くことで、この人物は、自分という存在を、普段、他者を見るのと全く同じ視点で、見ることができる。

これは、自己の他者化であり、「リアルタイムで、客観的な自己を見る」方法である。この方法によって、人類がこれまで体験することができなかった、「客観世界(三人称視点世界)への没入」が可能になる。

とくに、自分自身の後ろ姿を、リアルタイムで見るということは、人の意識にかなりのショックを与えることがわかっている。中継された自分自身を見ながら、驚きの声を上げながら、没入していく被験者が何人もいる。

人間にとって、背面というのは、鏡でも見ることができないものであって、VR中継まで待つしかなかったと言える。

人は元来、二足歩行を始めることで、お腹が前、背中が後ろとなり、お腹は、視覚や手の可動域で守りやすいが、背面は、見えないことや手が後ろに回らないことから、弱点とされてきた。

その弱点である背面は、鏡でも決して見ることができないのである。

この三人称視点VR中継システムで獲得するものは、自らの背面を見る視点、またコミュニケーションにおいては、前述のコミュニケーションプラットフォームにおける「超越自己」であり、これは情報伝達の場において、最も統合された視点に他ならない。

この視点を獲得することにより、三人称視点VR中継システムとは、コミュニケーションにおいて、次のような恩恵を得られるものとして整理できるだろう。

図 コミュニケーションプラットフォーム ©neten Inc.

  • VRによって、コミュニケーションプラットフォームのそれぞれを階層的に切り分けて把握できるようになることで、これをもとに情報が円滑に共有され、最適な形で目的が実行されるコミュニケーション(の場)として機能するようになる。
  • VRによって、「客体自己」がよく見えるようになることで、本来他者(親の愛)によって育まれるものとしての「客体自己」を、三人称の視点から自ら育てることができるようになる。それによって自己信頼が増し(「客体自己」への評価=他人からの評価を求めず)、「自己内自己」を主として(意志を発する者として)生きられるようになる。
  • 自分からは真には見えない「客体他者」と、他者と対峙することによる情報の集積としての「客体自己」を、VRによって客観的に発見する、またはこれらの観察が容易になることで、”主体的な自分”と”客観的な自分”の統合によって、自分という器が大きくなったり、また、「自己内他者」と「客体他者」の統合が起こり、他者理解が進むことで、コミュニケーションの中での”見えないところ”が減少し(思い込みが少なくなる)、コミュニケーションの円滑化に寄与する。
  • VRによって、通常のコミュニケーションでは決して見ることのできない領域が「見える」ようになることで、通常は見えない「客体他者」の集合としての「社会」に象徴される、「見えない」領域(=無意識であり、洗脳、思い込みの原因)に光があたり、ここからの脱出が促されることで、その人本来の可能性を発揮することにつながる。

人類は、これまで他者の視点を「想像」するしかなかった。そこには、他者を主観的に把握することで、メリットもあれば、幻想、妄想を生む、膨大な余地を与えていた。三人称視点VR中継は、他者の視点を没入感をもって「体験」することのできるシステムであり、それにより他者への幻想や妄想が減少することで、他者とのコミュニケーション、引いては他者との関係性の最適化に寄与するのである。

フッサールが説いた現象学は、現代哲学の基本であるが、現象学は、主観と客観の違いから議論が始まる。つまり、決して、人は、客観を体験することができないというところから、始まる。(けれども、この客観の体験ができたとしたら、哲学の世界にも革命が起きるのだろうか?)

私たちが申請した特許に含まれる技術である三人称視点VR中継システムは、この技術を使ったアクティビティについて、いくつかのパターンで申請している。

3.7. VR技術が起こす認知革命5-デジタルでプログラム可能なVR

そして、最後は、VR技術の「デジタル」な側面である。これは、VR等の技術における極めて根本的なことで、VR技術を使うと、人の知覚プロセスに影響を与えることで、そのVR映像の作り手の意図で、相手側の認知のプロセスを変えることができる。これは、人の認識や意識がVRによってプログラム可能であることを意味する。

表象という言葉がある。前述のように、人間は、「物自体」をありのままに知覚しているのではなく、脳内で記憶と共に組み上げているが、表象とは、外界にある対象を知覚することによって得る、脳内で記憶とともに投影された内的な対象のことをいう。つまり、人の知覚のプロセスをVR技術で置き換えることで、それがデジタルなものであるにもかかわらず、後につづく認知プロセスに主観的な表象を組み立てることができるのである。そして、VRが意識の内側(心、意識の中)を変化させるということは、意識がデジタル技術によって、プラグラムが可能であるということに他ならない。

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