報告者 小池沙輝

報告日 2018/08/13

人は美しいもの見る時——それは絵画や音楽といった芸術作品・アートのみならず、ふと目にする自然の風景、四季折々の草木が織り成す豊かな表情、折り目正しい日本の着物文化や結びの妙、日常に潜むささやかな発見に至るまで。私たちは美というもの、あるいはさまざまな位相を伴って目の前に立ち現れる美の原型に出会う時、無意識のうちに心が震え、内在する原初的な記憶がたちまち呼び覚まされることでしょう。

そしてそれはおそらく、人には美を思う心、美と呼応し響き合う感性・情緒といったものが、生まれながらにして備っているからなのではないか。

そう仮定してみるところから、第1章を始めていきたいと思います。

たとえば芸術・アートの起源は一説によると、人類の始祖とされるホモ・サピエンスから派生したクロマニヨン人が、フランス南西部の洞窟に残した「ラスコーの壁画」であるといわれています。このことは、私たち人間の真性には美しいものを知覚し、その本質をありのままに捉える心ーその対象となるものを形、色彩、手触りといった五感を頼りに、またある時には大いなる直感力に導かれながら、それらを識別し、嗅ぎ分ける知性・感性といったものが太古の昔から備わっていたからなのではないか。またそうした感性、あるいは美意識を土台に美の対象となるものを愛でることや、暮らし・生活のシーンにおいて他者と共有することで世界各国の文化が発展してきたという悠久の歴史を振り返ってみれば、美の起源とは、私たち人類が誕生した創世記よりDNAレベルでセットされていたと考えることが自然なのではないでしょうか。さらにそのような意味において、私たちが美に思いを馳せること、また美の本質を日々のなかに見出そうとすることーーそれはすなわち、人間の”心の起原”に立ち返るとともに、広大な宇宙や無意識の海へとアクセスする行為といえるのではないか、と考えるわけです。

しかしその一方で「美意識は育てることができる」というのも、事実でしょう。

そもそも人が進化を遂げる過程において、あるいは一個人が誕生してからどのような環境に置かれて成長するかによって「何を美しいと思うのか」という感性は十人十色、各々の領域であって、そこにあらかじめ明確な答えや正解が存在しているわけではない、という前提があるからです。つまり、美の真髄を見極める感性や知性と呼ばれるものは抽象的で非常に曖昧なものであるからこそ奥が深く味わいがあり、また時には奇想天外でハッとさせられるような意外性も孕んでいる。またそれゆえに多くの人々をたえず魅了し、惹きつけてやまない概念であると考えられます。つまり美意識とは、成長の過程において育てじっくりと醸成してゆくことも可能であり、生まれ持ったその人固有の美的感性を土台に後天的にも獲得されうるものである、と言えるでしょう。

ここで一つ例を挙げてみましょう。

絵画、彫刻、音楽など、後世に残る不朽の名作や優れた芸術作品は、時代を超えて私たちの心に今なお訴えかけてくる“何か”を宿しています。ただ私たちが仮にそのような大作に幼少期に触れるチャンスを得ることができたとしても、その美的な価値を解するだけの知性を携えているとは、言い難いのではないでしょうか。もちろんごく一部の天才や素晴らしい作品を生み出す類い稀な芸術家たちは、生まれながらにしてすでに審美眼というギフトが備わっており、その対象に触れた瞬間に美の真髄に共鳴し、触発され、さらに具現化するという能力に変換されるというようなケースも往々にしてあるでしょう。しかし大半の場合は、幼少の段階ではその美的価値を真に理解するまでには遠く及ばず、そうした美というものの前におぼろげな輪郭を感ずることはあっても、核心部分に触れる・本質を掴むまでには至らないのではないでしょうか。

しかしあらゆる人生経験を重ね、美しいものを直感的にとらえるに値する感性、さらに美的価値を解する歴史的背景や素養となる知識や知性が備わった時、目の前に広がる世界の見え方は劇的に、大きな変化を遂げていることでしょう。そこには新たな地平には、目には見えない隠れた次元に存在する、美しい結晶が立ち現れるような神秘的な感覚さえ待っているかも知れません。

つまり、美意識とは成長のプロセスにおいて育て磨き上げていくことで、確実に進化させることができるのです。

この美意識進化論では、私たち人間には生まれながらにして美しいものを愛しそれらを解する心が備わっているであろうという直感をもとに、人の美意識とはいかにして形成されうるものであるのか。また一個人としての成長、あるいは人類の進化のプロセスにおいて、美意識はいかに育ち熟成されてゆくのかといった点にも焦点を当てながら、後天的にも獲得されうる側面についても触れ、かつ具体例を明示しながら検証していきたいと思います。

さらには変化の著しい21世紀の現代社会において、今まさに学びの習得が世界的な潮流となりつつある美意識の概念の正体をさまざまな観点から検証し、一歩掘り下げて思考していこうという試みも含まれていることも、ここで忘れてはならないテーマの一つとなります。

それはなぜかというと、今の時代の大きな変革期において「美意識」というものが俄かに新たなキーワードとして浮上してきたその舞台裏には、また既存の概念(たとえば一般的に賛辞される芸術やアート、あるいはステレオタイプな美の在り方)を超えて再構築された概念体系のなかで語られる言葉の背景にはおそらく、人が人としてより良く生きるための哲学や知恵といったもの、あるいは指針となるものが確かにあると直感し、多くの人々が潜在的に求めているからではないか、と考えるからです。

さらに飛躍するならば、美意識を獲得すること、美しいものの奥に秘められた本質が一瞬にして「わかる」というという感性・知性こそが、既存の学問や論理的な思考力を超えて、地球環境、政治、経済、紛争といったあらゆる問題解決の決定的な突破口となりうるのではないか。あるいはその手立てとなるヒントを見出すことにつながるのではないか、と直感しています。

かくして美意識進化論では、「美しい」を既存の文脈のなかで語るのではなく、美の本質そのものである”中今”に結ばれる純粋なエネルギーの結晶体や、そこに宿される力、さらにはその深層の奥に潜む叡智、純粋主観によって導き出されるインスピレーションに至るまでのプロセスを、あらゆる側面から客観視しながら一つの方法論としても明示できるよう、探求していきます。

最後に余談になりますが…

美意識進化論を牽引する井坂健一郎先生も、先日百貨店で行われた展覧会で、こんな印象的な一言をおっしゃっていました。

「展覧会を企画したり店舗プロデュースをするときは、その空間に足を踏み入れた瞬間、数あるモノのなかから本当に力のあるもの、高いエネルギーを放っている存在が一瞬にしてわかります」と。

このような一言にも象徴されるように、美意識というものが非常に成熟した段階に入ってくると「本質や本物を一瞬で見抜くことができるようになる」ということを暗に示唆しています。つまり現代において美意識を育てることはすなわち「極めて純度の高い瞬時の判断力を養うことである」と換言することができるでしょう。

世界は今、私たちの想像を超えるレベルで人工知能をベースにした最先端の知の構築、資本主義をベースとした従来の経済システムから新たな経済圏へのチャレンジの真っ只中であり、大きなパラダイムシフトを伴う新世紀の夜明け前といえる時を迎えています。そのような時代を生きる私たちは、未だかつてないスピードで急速に変化し、玉石混交あらゆる情報が溢れ、情報の価値や真偽を見極めることが大変困難になっています。そして経済、コンピュータ、情報、神経系、遺伝子等、すべてが「ネットワーク」によって結ばれ片時も止まることのない有機体がうごめく循環系のシステムを生きる上で、本質を見極め、精度の高い選択を瞬時に行う力は、今後飛躍的ににその価値を増してゆくことになるでしょう。すなわち私たち一人一人が美意識を進化させていくことは、まさに現代を生き抜く力であるともいえ、瞬発力、判断力、知性、直感力が相互に研ぎ澄まされていくことで、日々の生活で役立つことはもちろん、間違いなくビジネスの現場でも大いに役に立つはずです。

私たち一人一人が美意識を磨き、進化させてゆくこと。

それはすなわち、本質に通じる道であり、今私たちが生きる21世紀を生き抜く上で「現代の知性を獲得すること」に他ならないのです。

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